「今日は何か、今までで一番集中したかも?」

 

 

先日、

塾生から受けた言葉で

心に残っている言葉です。

 

だからといって、

 

「自分が何をした!」であったり

「何かを与えた」ってワケではありません。

※そこまで大した力もありません・・・

 

 

「確かに」

その塾生は、苦手な数学を一生懸命取り組んでいました。

今までなら、数問しか進められないのも

その日は、当日学校で勉強した内容までシッカリ復習

 

大したものです。(^_^)/

 

そんな塾生の顔を見ていると

 

「笑顔」

 

決して

勉強が大好きってワケではありません。(失礼!)

何か来る前に

良いコトがあったのかもしれません。

たまたま

分かるトコロが中心だったのかもしれません。

 

どっちにせよ

笑顔で取り組み、

その日の理解を

シッカリして帰宅しました。

 

 

やはり、

「勉強ってこういうコトだな!」と再確認。

 

前向きに

自発的に

自分の置かれている課題に取り組む!!!

 

生徒が主役

 

 

そこを邪魔しないように、

気持ちを害さないように

ベクトルをずらさないように

サポート。

 

さて、

次に来るときにはどうなっているかな?

楽しみなような、怖いような・・・(*_*)

 

 

 

「人間の本質として」

 

 

●評論家

●実働家

 

に分かれると思います。

 

●評論家

・知識が豊富

・外からの視点で的確な正論を唱える

 

●実働家

・まず自分で行動

・時には失敗も(自己責任)

 

自分が考えるに

こんな感じ。

 

SNS社会でもありますので、

情報が溢れ、

自分の意見や考えを

このように発信するコトは容易になりました!

 

有名人、一般人関わらず

1つの発信に対し、

レスポンスも早く、

その量も

内容によっては莫大なモノもあります。

 

情報化により「知識」は得られました。

ただ、その知識を

 

さも経験したかのように、

大衆の意見であるかのように

一般論であるかのように

 

「評論家」として

外野からの指摘が多くなっているようにも感じます。

 

「匿名性」だったり、本名で無かったりするのも

一因だと思いますが・・・

 

心に響くMOVIE

 

自分としては、単純に

 

「知識」を

「知恵」に変えて

「実働家」として

「自己責任」にて

 

動けた方がカッコいいかな?と。

 

 

「評論家」としての正論は、

的を得ていて

「その通り」というコトが多々。

 

でも、「で、自分でやらないの?」

となると今度は、言い訳・・・・・

 

言い訳として

「出来ない理由」を考えるのは

天才的。

 

それだけだと前には進めません。

 

 

「出来る理由」

ココを考える方が

精神的にも健全で、

何よりカッコいい。

 

 

高3生は、

推薦入試がもう少し。

 

高1・2年生は、

定期考査まで約1ヶ月。

 

未来の「実働家」

「出来る理由」

を一緒に考えられたらなと考えています。

 

今日は、こんなところ

おしまい